「何者でもない」ことに悩んでいたけれど

俵万智「たんぽぽの日々」を読んで、すごく良いな〜と思った句。

自分の時間ほしくないかと問われれば
自分の時間をこの子と過ごす

俵万智「たんぽぽの日々」

この短歌の解説で著者は、仕事をしていないお母さんほど「自分の時間がほしい」「自己実現」という言葉を多く耳にするらしく、こう語りかけてる。

「(前略)仕事には、いくらでも代わりをしてくれる人がいる。
でも子どもにとっての母親は、世界中で自分だけ。
代わりの人がいない、自分にしかできないっていう意味では、これこそ、すごい自己実現だと思うんだ」

俵万智「たんぽぽの日々」

人によっちゃ乱暴な考え方に感じるかもしれないが、子どもを生んだことで「私はこの子”親”という絶対的な存在になったんだな。憧れていた”何者か”になれたんだな」と思った。

今までは、何か肩書きがあるような職業であったり、才能があるクリエイターだったり、稼いでそうな人だったり、とにかくなんかキラキラしているような人に憧れや嫉妬のような感情を抱いていた。
自分は何も実現していない、どれも持っていない=「何者でもない」と思っていたから。
(そもそも、まったく努力をしていないのだから比べるのも本当はおこがましい…)

人生とはそのフェーズで考え方が変わるな〜と改めて感じた。

子を産んでから、なんか憧れとか嫉妬とかは薄ーく薄まった気がする。
自分を全肯定し、必要としてくれる唯一無二の存在ができたが大きい。(子どもが小さいうちだけかもしれないけど)

もちろん、別に自分が何者かになりたいから、子を生んだわけではない。

実際、子を持つ前は、

夫と出会いサイコーに楽しい毎日を過ごしていて、不妊症だったこともあり、先の見通せない世の中だし、このまま二人で生きていくのもいいね。

なんて考えていたのに、子を持たない人生より、子を持った人生を歩みたいと思いました。

難しく考えると、いろいろ論じたりもできるんだけど。
たった1度、自分の人生なので、好きな人との子を育てる人生が歩みたかった、ただそれだけです。

「子にとって私は絶対的な”母親”という存在になるんだ!」ということに気付いたのは産んだあと。
これは人生が180°変わる経験です。

30代になって、漠然と「自分は何者でもないんだ」ということに悩んでいたけど、生き方や家族というものでアイデンティティを築くことはできるのかもしれない。

仕事でバリバリ活躍したり、趣味でも才能を開花できたら、それはそれはカッコイイだろうけど。

この子の母親だったという経験は私しかできませんしね。子は自分だけの幸せな人生があることを気付かされた尊い存在です。

ということで、今回は俵万智さんの「たんぽぽの日々」から考えたことでした。
子育てのなかのかけがえのない一瞬を切り取った短歌がどれも素敵な作品だった。

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